けほ、と乾いた咳が、響きもせず虚しく消えた。

















「もう、この部屋から見える景色も見納めですね」







蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ中、この家だけはその空間から切り取られたかのように静かだった。ふぅ、とが吐く息もやけに大きく聞こえた。庭に咲いているひまわりが風に少し煽られてゆれる。返す光がとても眩しい。
私はの言葉の意味がどういう意味なのか判断がつかずに何も言わず、曖昧に困ったように微笑んで首を傾げた。






「今まで、有難うございました」






は庭を見つめたまま動かない。






「変り者ですね、あなたも。なかなか結核の患者にここまで付き合う人も珍しいですよ」






妙に落ち着いた声で、なんとなく安らかな雰囲気があった。それは幾度となく見てきた自分の死期を悟り、待っている人間の姿だった。






「だから、私は人間ではなく国だと言っているでしょう。」






彼女にはなんとなく人、少なくとも私を惹きつける力があった。丁度十六の頃に結核を患い、家族からも半ば見捨てられ、それでも何かを恨みもせず自分の人生を受け入れてきた。結果彼女は今では私くらいしか口をきく者も居ない。






「ふふ、そうですね。有難う、私の傍に居てくれて。さぞつまらなかったでしょう」
「・・・いや、」






私に微笑んでみせたさんから、私は言葉を濁して目を逸らした。
つまらなかったことなんて一度もない。むしろ私は冗談の一つもろくに言えなかった。そしてできることが一つもなかった。






「私が死んだら、あなた一人になるのかしら」
「・・・どうでしょう」






は自嘲でもするかのような笑いを漏らした。やはり最初の言葉は自分が恐れていた意味だった。






「あなたを一人にしてしまいますね。こうやって長い時を生きる中ですべての人間が死に絶えてゆくのを見るのは辛いのでしょう」






この人は自分が国だということを信じているのかそうでないのかわからない。もとより掴めない人なのだから今更なのだが。






「そうですね、あまり慣れません」






は寂しそうな顔をした。






「私が死んでもあなたはまたこれから何千年と生きていくことを考えるとなんだか私も寂しいです。私の存在はあなたにとって数秒にも満たない」
「そんなことありません」






自分の愛した女性が数秒にも満たないだなんてあるだろうか。






「愛していると、言ったでしょう」






言ってはならないことのような気がして、私は少しの好意も自分の国民たちに明かしたことはなかった。それなのに私は我慢ができなかったのだ。彼女に伝えたくて伝えたくて、ある日伝えてしまった。永い時の中でこんなに恋い焦がれた女性は初めてだった。彼女の困ったような微笑みを覚えている。






「・・・有難うございます」





は今度は困ったような笑みではなく、少し切なさの漂う、ふわりとした笑みを浮かべた。
正直この永きを生きる中で自分を除く全ての生き物が死に絶えてゆくのを見るのは気が狂いそうだった。自分は願っても彼等とともに死ぬことはできないのだから。そして今度は、自分の愛した女性さえも目の前で死にゆこうとしている。






「私は、幸せでした、日本。あなたが永遠であるように」






ああ君に幸多からん




ことを!













あいしてる、そう伝えられたらどれだけいいのだろうと思った。じわりと目頭が熱くなる。 かなしくてかなしくてせつなくて胸が苦しかった。いっそ吐き出してしまおうとおもった。 だけど明日明後日の命の私があいしていると伝えてどうなるだろう。重荷になるのなら、 呪縛になるのなら私は残さない方が良い。ああわたしはしんでしまうけれど、どうかあなた よ、あなただけは私を忘れないで。そして、ずっと私を愛していて) (江戸時代くらい)(08.08.20)