*戦争ネタです 普通の人間設定みたいなかんじで書いてます






























全てのものが真っ赤に染められていたけれど私達の影だけは違った。真っ赤な風景に影だけがはっき りと黒く、いやに形が綺麗に映っていた。うつくしい、素直にそう思った。手に掛かっている買い物 袋ががさがさと音をたてる。私の両手から下がっているものは、菊さんが重いものをほとんど引き受 けてくれたおかげでとても軽い。袋が中のものとの摩擦でたてる音さえもがとても愛おしかった。私 たちはとてもゆっくりと歩いていたので、時間も私たちに合わせてゆったりと流れてくれているよう に感じた。


「菊さん、わたし幸せです」


自分でも驚く程柔らかい微笑みがうかんだ。自分でも、驚く程。菊さんは少し照れたようにはにかむ と、また顔を逸らして前方へと向けた。私達の後ろから夕陽は照らしてくれていたので、向こう景色 の赤と影になった菊さんの輪郭がとてもはっきりと分離されていてなんだか切り絵のようだなぁとた め息をつきそうになった。彼は前を向くのと同時に至極真面目な表情になって、これまた至極真面目 な堅い声を出して、言った。


「私も、もうすぐ行かなければならないかもしれない」


勢いよく息をのみこんだせいで喉がヒュッと鳴った。どこへ、なんて野暮なことを聞き返してみるこ とも出来なかった。いつにも増して真摯な眼差しがそれが戦争だということを寸分の語弊もなく私に 伝えていた。解すると同時に、私は自分が何と言えばいいのか、何をすればいいのかわからなくなっ て俯いて言葉を探した。口は開閉するだけで声は出ない。まんま金魚じゃないか。


「どうして、ですか」


喉から搾り出した声は少しばかり掠れた濁った声だった。どうしてだなんて、理由なんて聞きたくは なかったし聞いて意味があるとも思えなかった。只、言葉のあや、じゃないけどそんな感覚の、もの 。冷や汗が喉のあたりを伝うのを感じた。


「みな辛い思いをして頑張ってくれているのですから、私がこうやって一人幸せでい るわけにはいかないでしょう」


成る程菊さんらしい意見だ。私は顎が震えるのを感じた。歯と歯がぶつかってカチカチいうのをなん としても阻止したかったのでぶつからない程度に歯を浮かせた。なんでなんでなんで。この人だけは 、父や兄がどこへ行ったとしてもこの人だけは私のもとから離れていかないで居てくれると信じてい たこの人が。私は行かないでとも逃げましょうとも言えずに黙り込んだ。まだ行くと決まったわけで はない、もうすぐ戦争は勝利で終わると信じて。






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ある曇った朝、ふと目をあけて体を起こすと隣の布団が先ほどまで人が寝ていた跡を残して横たわっ ていた。なんだか胸騒ぎを起こして普段より暗い廊下を静かに歩いて玄関の戸を開けると、菊さんが 門の隣、郵便受けの隣に立っていた。


「君は僕が居なくても平気ですか」


目の前が、真っ暗になった。






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それから私は必死で針を集めて回った。おねがいします、ありがとうございます。何度頭を下げただ ろうか。こんなことをしてなにになるだろう。百本千本集めたところでこの針は菊さんを守ってくれ などはしないのだ。わたしが幾ら祈ったところで戦争は終わりはしないのだ。そう思うととても苦し くなった。お向かいの私と同い年の奥さんは、私が針を、おねがいしますと言うと少しだけあっとい うような顔をして、それから哀れみの眼を私に向けた。まだあなたたち若いのにね、そう聞こえてき そうだった。他の家の私より年配のおばさんおばあさんたちはとても喜んで、おめでとうめでたいね 、立派にお国のために死ねる様祈ってるよ、と言った。喉がじわりと熱を持って、目頭があつくなっ ているのが分かる。必死で唇を噛み締めた。ふざけるな。首を絞めて爪を立てて引き裂いてやりたか った。立派に死ねる様なんて願ってくれなくていい。人のためなんかに死ななくていい。どれだけ菊 さんという人が立派な人だか、素敵な人だか理解してないから死ねる様にだなんていえるのだろう。 逃げまわる毎日だった。毎日のように爆弾が降ってきた。機関銃の音が夢にまで出てきた。血飛沫を あげて断末魔をあげる人間を何人も見た。その度に私達は決して離れることなく二人で逃げて逃げて 防空壕で身を寄せ合った。外は怖かったしいつ死ぬかもわからない非日常的でいつも不安が付き纏う 生活だったけどそれでも幸せだった。奪わないでほしかった。こんな日がくることを予想していなか ったわけじゃない。自分の死よりも恐れて生きていた。それでももしそんな日が来たなら私たちだけ は逃れられるような気がしていた。人でなしだと非国民だと罵られても二人ならば生きていけるとお もっていた。






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沢山の旗が風にひらひらと揺れていた。いってらっしゃいとか万歳だとか喜ぶ声がそこらじゅうから 聞こえてきた。私は何も考えることができなくて、実感がわかなくて怖かった。この無心のまま菊さ んが行ってしまうのだと思うともっと怖かった。彼は私のもとに生きて帰ってくれるだろうか。さっ きから体が小刻みに震えてかなわなかった。最後の夜、生きて帰ってくると固く誓ってくれた。死ぬ のが美徳だなんて考えなくていい、泥水を啜って生き恥を曝してでも五体満足で帰ってきて欲しい。 私は、それがいけないことなのではないかと思いながらもそう伝えた。






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暫くしてから約束の手紙がやってきた。ちゃんと食べていますか、私はまだ生きています。これから どこにやられるかはわかりませんがきっと陸軍だと思います。九州のほうにやられる可能性は少ない という話ですので安心してください。ああそうだ空襲は酷くないですか、私がいなくてもきちんと逃 げるんですよ。あなたはよく転ぶ人だったので心配です。そんなことが書いてあった。私のことばか りじゃないか。字を見るだけでこんなに愛しくなるだなんて思わなかった。まだ生きていてくれてい るということを誰にでもいいから感謝したかった。きっと戦争はもうすぐ終わる。あの人はきっと帰 ってきてくれる。そう思ったら涙が出て、返事を書くために広げていた紙にぽたぽたと落ちた。ああ いけない、今日は私も寝よう。






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三、四通程で手紙は途絶えた。彼の行方は知れない。隣のおばさんはきっと死んだのだよ、よかった ねぇ。あんたの旦那は陛下のために立派に殉死されたのだよ。ほんにめでたいことだねぇと言った。 そう言って私の手になにか物を少し押し付けた。たぶん食べ物だったのだろう。私は頭が真っ白だっ たので覚えてはいない。もう嫌だ、とだけ思った。






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さんへ送る手紙を書く暇がなくなり、戦場を駆けずり回って来た。回りがばたばたと倒れていく 中で自分が生きていることを不思議だと思ったが怖いという感覚は麻痺していた。考えることもする こともなくなると隠れながらさんのことを考えた。生きているだろうか。いや、生きているだろ う。手紙を遅れなくてきっと心配しているだろう。そう思うといてもたってもいられなくて、苦しく なってすぐに会いたくなった。こうやっていることで自分はさんを守れているのだろうか。そう やって爆音の中で生きていると、どうやら戦争は終わったらしいということを聞いた。みんな泣いて いた。土下座して敗北を詫びていた。私はああこれで帰れる、と思ったことだけを覚えている。
さんの写真、帽子や下着だけをまとめた小さな鞄を抱えて船に乗って家へと帰った。全てが軽か った。心も体も軽くて、やっとさんに会えるのだという思いだけが私を急かし、自然と足も速ま った。呼吸が苦しくなるのも足が痛いのも何も感じなくて、田舎だった故にあまり焼け跡のない故郷 を走り抜けた。家が見える。さんが其処に居るのだ。ああ、会いたかった、会いたかった、会い たかった。涙が出そうになって、玄関をがらりと音をたてて開ける。大きな音をたてて扉を開けるな んてことはほとんどしたことがなかったため、そのあまりの大きさにうるさいと思ったがそれも一瞬 だった。廊下をばたばたと走り抜けて居間の戸を開ける。さんが驚いた顔をこちらに向けて、裁 縫をしている手をぱたりと止めて私の顔を凝視する様が目に浮かんでいたのだけれど予想に反して さんは居なかった。あれ、と拍子抜けをしたものの、とりあえず部屋の戸をひとつひとつ開けて いった。さんは居ない。どこにも居ない。買い物にでも出ているのかと思ったがそれにしては、 なんというか、生活感がない。嫌な予感がして背筋が寒くなる。外へ出て隣の家へ声を掛けてみると 、「あら、生きていらしたのかい。お帰り、」と言いながら初老の女性が草履を引っ掛けて出てきた 。その表情が侮蔑を含んでいようと喜びが湛えられていようと如何でもよかった。私は肩をも掴む勢 いで「さんは、」と言うと女性はちょっとばつが悪いという顔をした。
「ああ、この前亡くなられたよ。あんたの帰りをずっと待っていたが、なんだか追い詰められている ような、すごいかんじだったからねぇ」








ああ君よ、僕は帰って来たのに (08.09.07)